絵画講師 誕生秘話 その1
そもそも クリエイティブな仕事をしていた私が、どうして絵画講師になったのでしょう
2004年
ジュエリーデザイナーとして宝飾業界で仕事をしていた私ですが、子どもが小さい間はできるだけ子どもと過ごす時間を優先したくて、仕事をセーブして子ども中心の生活をしていました。
子どもが幼稚園の年長児になった10月のある日「月に1回幼児教室で5歳の受験生達に絵を教えてほしい」と友人から依頼されたのです。
私は小さい頃から絵を描く事が大好きで、大学は芸術学部に進み絵画の基礎を学び、デザイン研究所で専門性を高める勉強をしたので、絵を描くことに自信はありました。
また、月に1日だけなら子育てに影響はしないと判断したので、喜んで引き受ける事にしました。
しかし、実際に集団授業で子供達に絵を教えてみると、驚く事や戸惑うことばかりで自分の無力さを思い知らされることになったのです。
同じように教えていても描ける子と描けない子がいたり、月齢によっても理解度が全く違う場合もありました。
生まれてから何を見て、どんな風に育ったのか家庭環境によっても、子供が表現できる対象物が、違ってくることがあることすら知りませんでした。
集団での授業の難しさを、初めて痛感することになったのです。
また、同時に様々な疑問が湧いてきました。
子供はどのような発達段階を経て絵を習得していくのだろうか。
大人は子供の発達に合わせて絵画においてどんなステージをいくつ用意してあげるべきなのだろう。
子供が楽しく絵を学べる教材はあるのだろうか・・・
と考えるようになっていきました。
絵画講師 誕生秘話 その2
絵を描く事に自信はありましたが、私は絵画講師としてはあまりにも未熟でした。
なぜなら集団授業で瞬時にお子様のレベルに合わせて対応する能力まではありませんでした。
様々な疑問点に答えを出して、絵画講師として1日も早く自信を持って満足のいく授業をしたいと願う気持ちが強くなっていきました。
そんな強い思いから大学に行って、子供がどのようにしたら楽しく絵を学んでいけるのか、専門的に教授法の勉強をする決心をしたのです。
一度社会を経験した私が必要に迫られて学ぶわけですから真剣です。
発達心理学、教育心理学、子ども社会学、伝承文学概論、児童文学などなど子供に関する様々な学問的な勉強を夢中でしていたら3年という月日が流れていました。
さすが大学という教育機関、疑問に思った事柄に対しての解決の糸口が見つかるべく、あらゆる書籍が図書館に貯蔵してあり、大変参考になりました。
平行して、子供が夢中になれる絵の教材を探し始めましたが、残念ながら日本では見つかりませんでした。そこで子どもを連れて外国の書店を巡る旅に出ました。
外国から資料として購入してきた本を見ながら、実際に描いてみて検証をしてみたところ、大人の私には楽しく描けたのですが、小学校受験を控えた5歳の子供たちの発達段階に照らし合わせると、ハードルがやや高いものでした。
もう少し細分化された資料はないかと大学院でおもちゃ研究を専門的にしている友人やゼミの仲間達にも協力して調べてもらいましたが、見つかりませんでした。
絵画講師 誕生秘話 その3
そこでクリエイターの血が騒ぎました。
この世にない以上は、自分で作るしかないと決意し、教材を作って集団授業で使わせてもらうのはどうだろう・・・と考えました。
毎月、絵を教えに行っていた幼児教室の校長先生は快く、私の持ち込み教材を承諾してくださりました。
結果、生徒さん達は絵を描くことに喜びを感じて、絵が上手に描けるようになって、小学校に巣立って行きました。
心から感動しました。講師としてこんなに嬉しい事はありませんでした。
その頃からです。
生徒さんのレベルに合わせて教材を作るのが楽しくなり、授業をするのがとても待ちどうしくなっていき、早く教えてみたい、子供達の笑顔が見てみたい、と切望するようになりました。
生きがいを見い出した瞬間でもあります。
そして、子育てがひと段落したら、私もいつか自分のアトリエを持って子供たちに絵を教えてみたい、と考えるようになっていきました。
2011年
長い構想期間を経て、自宅の1階を改造して「アトリエ萠美」が誕生して、現在も私が開発した教材を使って楽しく授業をしています。